日常を見立てる《学校》

■私が勤めている学校の教室の多くは、一般的な7×9メートルの閉じた空間である。ここに多ければ35人もの児童生徒たちが半日から7時間近くを、週五日に渡って過ごしている。ひとりあたりの平米は一畳にも満たない。しかもその教室内には机や椅子、そして棚などが隙間なく置かれている。故意ではなくとも「机にぶつかれば誰かに当たる」というような、その環境条件は満員電車にも引けを取らない混雑率である。西出(1985)の一般的な対人距離観に従えば、50cm未満は排他域、50cmから1.5mは会話域であり、多くの児童生徒たちはまさに排他域に身を置いている。ここで考えれば「気詰まり」が発生しないこと自体不思議なことである。晴れた日は校庭で気晴らしをすることもできるが、雨季などは体育館使用にも制約があり、多くの児童生徒が教室か廊下で過ごすこととなる。


■この空間定位の心理学で繰り返し述べているように、人は前方180~200度しか見ることができない。つまり後方160~180度は常に死角と云うことになる。そうした状況でときには鋭利な道具を、ときには汚れが飛び散る道具を一斉に使用しているというのが、彼ら彼女らの日常なのである。何が起きてもおかしくない状況であり、その危険性は計り知れない。にもかかわらず、そうした環境条件を維持しながら、一部の学校臨床の事例を考慮してもこれだけ多くの児童生徒たちが安定して学校生活を維持できたのは、各教職員の数値では測れない高度な教育技術と、ひたむきなクラス全体や各個人に対する配慮、そして何より児童生徒たち自身の、クラス作りや絆作りにかけてきた努力の歴史の成せるものなのである。学校臨床に携わる者は、医師であれコメディカルであれ、当然心理職やソーシャルワーカーであれ、まずそのたゆまぬ努力に対して尊敬をもって受け止め、理解することから始めないといけないと考えている。

■その上で、空間定位の心理学ではある具体例から、学校という日常に身を置いた見立て方をご紹介したいと思う。まずは空間定位の心理学において「検討違いな方向からの肩叩き」と仮に名付けている日常生活場面についてご紹介したい。


■全校集会などの整列場面において、しばしば行われるあざむき行動に「検討違いな方向からの肩叩き」が挙げられる。この行動は被害者の後方、死角空間に身を置く単一犯もしくは複数犯によって行われる。その仕掛けは恐らく誰しもが実行したか、仕掛けられたか、目撃したことがあるものである。加害者は被害者との配置上、検討違いな方向の肩をとんとんと叩く。それは振り向かせるためのものであったり、文字通り痛みの伴う打撃である場合もある。被害者は某かの意図を察して振り返るものの、加害者を特定できない上に加害者は視線を合わさず他人事を決め込むために、一切被害者に反応を示さない。結果として、一度か何度かこのあざむき行動を繰り返すことで、被害者は激昂してしまうというものである。


■このあざむき行動の巧妙な点はこの先にある。担任やその他の教員が列の並びに立っている場合、その教員の死角をも突いて先のあざむき行動は行われているのである。結果的に被害者の激昂した姿のみしか目に入らず、理由が知れないままに注意が与えられることで、まさに被害者にしてみれば「泣き面に蜂」とばかりに厳しい叱責を受けることとなる。加害者にしてみればまんまと教員をあざむき行動に荷担させることに成功したことになるのである。


■後方に並ぶ者たちは共謀犯である場合もあるし、同ううじく死角を突かれた他人である場合もある。しかし、もし仮に共謀犯の場合、そこに隙を突くというスリリングな娯楽性を感じとるために断じて真相を教員に報告したりなどしない。そこにチアム(Sullivan,1953)やギャングエイジなどの守秘義務に基づく関係が発生するために、教員はますます真相究明には至れず、最悪の結果に至るのである。


■この条件で解決を図るのは容易ではないが、実は2000年初旬に私は直接ベテラン教員からそのノウハウを伺っている。結果を聴けば分かりやすいテクニックなのだか、もし仮に教師がふたりいる場合、ひとり相対的に目の良い方が背後に陣取れば、全体を俯瞰できる上に児童生徒は体操座りをしているために背後を向くことができず、結果パノプティコン監視構造と極めて酷似した構造を形成することもできるのである。やがて見えない視線を意識することで問題行動も軽減するのである。


■さらにユニークな対処法に意外なアイテムが活躍する。昭和の時代にはしばしば目にしたサングラスを掛けた教員である。このサングラスは遠方の場合眼球の向きを察することが困難なため、直接児童生徒たちの列を俯瞰している姿勢の向きであれば今誰を見ているのかを察知することができず、警戒心が働くことで、教員の死角を突いてのあざむき行動が激減するのである。


※勿論、教育関係者にはそれぞれ異なる考え方もあるだろう。教員が児童生徒を監視する姿勢はかえって児童生徒たちから反発を買うのみならず、児童生徒たちの自主的な行動を損なうのではないかという懸念である。しかし空間定位の心理学においては、問題行動の発生を単に「内的原因」から捉えるだけではなく、「発生の機会」から捉えることを強調している臨床心理学の一領域であることをお伝えしたい。それは個人の問題行動を器質や生育歴から追う前に、まず状況調査を行うことによって、発生機会の低減をはかることにより、より目に見える具体的で実現可能性が高い対処法を検討することを狙いとしているからである。

■この「見当違いな方向からの肩叩き」状況は、学校臨床に携わるための本質的な命題を浮かび上がらせる。就学前に獲得する欺き行動は4歳前後(Byrne&Whiten,1988)、定型児童らの成長発達に ともなう誰かをかばうための嘘(white lie)の発達は4歳から5歳(Cole,1986;瓜生,2007)と言われるように、小学校に入学する段階である程度の児童生徒は他者を欺けるだけの能力を獲得しているのである。当然、欺かれる対象は他の児童生徒だけではなく大人も対象に入る。


■ただしそれは臨床家が用いる守秘義務の獲得に向けた治療関係や、児童生徒たちが親友関係の中で共有されるチアム(Sullivan,1953)の獲得、そして社会人としての節度を獲得するために、極めて重要な発達の芽であるといえる。